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ウエノイエストーリー

  • 代表の上野栄治です。
    創業者である父 上野榮一が米子で独立したのは昭和48年4月。鳥取県米子市米原の小さな賃貸平屋建て住居の6帖間の一角に事務所を構え、建設業許可の認可を経て、上野ハウジング有限会社を設立。当時はトラック1台と机のみからのスタートでした。そんな先代の社長は満60歳の時に他界。父は島根県松江市出身。高校卒業後、永大産業に入社し、広島、岡山営業所にて営業として活躍。その後、退社し米子市で建設業へ参入。「家づくりは人づくり」を掲げ、仕事に打ち込んだ人生でした。性格は非常に真面目で几帳面な人柄だった、ということをお客様より伺います。1件1件先代の社長が建てた家を見てまわりましたが、どの家も手抜きが一切なく時代の流れに巧く順応しながら事業を展開していったのだと思います。

  • コミュニケーション
    私の幼少期は父のお客様宅訪問に同行することが日課のようでした。行く先々でおやつを頂き、お客様と話しをする父を見ながら育ちましたそのころから話をすることが好きで、今でもお客様との会話を大切にしながら、家づくりを進めています。
  • 社会に出て得たもの
    高校卒業後、大学は建築学科へ進み、意匠設計を専攻しました。大学卒業後、父と同じEIDAIへ入社。そこで住宅の工法研究部門に配属になり、工法等の研究に明け暮れました。その後、建築の知識を活かし、建具や収納商品などの企画開発部門に移り、空間インテリア、マーケティング理論などを学びました。全国の営業所課を廻りながらハウスメーカー、パワービルダー、工務店、設計事務所など様々な規模の会社と関わる機会が多く、海外のインテリアに目を向けるようにもなり、インテリアの最先端に触れることができたのは大きな財産だと思っています。

  • 決意と共に
    父が他界した当時、私は28才。会社を引き継ぐという選択は無謀なこととしか思えませんでした。が、自分に何が出来るのか・・・引き継ぐためにはどうすれば良いのか・・・、頭の整理が出来て、決断するまでに色々と寄り道をしながら、答えがでるのに5年かかりました。地元米子に帰ることを理解してくれた家族に感謝しています、そして先に戻っていた弟(専務)がいることで心強さも加わり、決意と共にここ米子へ戻ってきました。戻ってからの数年間は、いろいろと考えすぎることもあり、思い通りに行かない現実に悩み苦しんだ時期もありました。それらを乗り越えられたのは家族の存在、支援してくださる協力会社の皆様そしてOB様や出会った方々の励ましがあったからです。

  • 取り組み
    毎年テーマ、課題、改善を出して、地道に取り組んできたことが、今日の私たちの家づくりにつながっていると感じています。サラリーマン時代に色々な家を見てきて感じたことは、新建材を使用した家よりも、自然素材を使用し職人の手仕事で建てる家のほうが、年月が経つほどによい風合いとなり、心地よい空間になるということでした。だからこそ、手間暇かかる家が建てたい!その良さを伝えたい!そういう思いで取り組んできました。また、この山陰の温熱環境の改善にも取り組みました。夏暑くて、冬寒いという課題に対して、とにかく知識を増やすべく日々勉強。そして自ら足を運んで本当に快適なのかどうかを体感し、導入してきました。また国が推し進める2030年先を見据えた住宅へもいち早く取り組んでいます。

  • 私の使命
    私たちを頼りにしていただくお客様のために、家を守り続けていくこと。そのために無理をせず、背伸びもせず、コツコツと豊かなくらしをつくることを大切に、楽しみながら米子で住宅設計を続けていきたいと思います。

    代表取締役社長 上野栄治